仏舎利は当時のインド首相ネール氏が長崎市へ寄贈
昭和29(1954)年、インドのネール首相(当時)が日本を訪れ、日印友好・原爆死没者の慰霊・世界の恒久平和などを願い、仏舎利(お釈迦さまのご遺骨)を長崎市へ寄贈しました。
諸般の事情により仏舎利は市から長崎市佛教連合会へ譲渡
仏舎利を寄贈された長崎市は当初、風頭山頂へ塔を建て奉安する計画でしたが、政教分離や都市計画等の影響により実現せず、仏舎利はインド政府の許可を得て、長崎市佛教連合会へ譲渡されることになりました。
その後仏舎利は長い間ほとんど人の目に触れる機会がなく、10年ほど前から毎年お釈迦様が亡くなられた2月15日に、長崎市佛教連合会主催で仏舎利の法要(涅槃会)が行われていましたが、その存在すら知る人が少ないという状況でした。
ようやく仏舎利の奉安場所が平和公園内施設に決定
平成25年1月、長崎市佛教連合会の楠会長(光源寺前住職)から話を聞いた地元新聞が「仏舎利が60年近くほぼ人目に触れない状態になっている現状」を報道。
その結果、長崎市と長崎市佛教連合会との間で話し合いがもたれ、仏舎利を平和公園内の原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂内に奉安することが決まりました。
長崎市佛教連合会から依頼を受け奉安プロジェクトスタート
仏舎利を祈念堂へ奉安する際の舎利塔の選定や施工の方法などについて、長崎市佛教連合会から弊社へ依頼がありました。
弊社としては大変意義ある光栄なお仕事ということで、謹んでお引き受けさせていただくことにしました。
表には見えない強固な防犯体制
仏舎利はお釈迦さまのご遺骨。何事にもかえがたい、とても大切な仏舎利ですのでセキュリティーはしっかりしないといけません。
また、その仏舎利にふさわしい荘厳な舎利塔も必要です。
しかしいくら防犯が大事とはいっても、お参りされる方に目立つような構造物があるのは好ましくありません。
弊社では「目に見えない防犯」を目標に試行錯誤の末、表からは極力見えないようにしつつ、防弾ガラス等を用いてしっかりとしたセキュリティーを施しました。
仏具などもふさわしいものに
仏舎利の奉安に合わせて、経年劣化した祈念堂内の祭壇や、お賽銭箱の修復を行い、さらに線香・ろうそく立てを新調しました。
またお参り空間の見直しを実施し、空間全体がすっきり明るくなりました。
無事、仏舎利の奉安式を迎えることができました
平成25年11月16日、長崎市佛教連合会主催の仏舎利奉安式を無事迎えることができました。
奉安式には田上富久長崎市長や、宗教の枠を超えて活動を行っている長崎県宗教者懇話会の各宗教の代表の方々も列席されました。
長崎市佛教連合会より感謝状をいただきました
長崎市佛教連合会より今回の施工に関して高い評価をいただき、感謝状を授与されました。
60年の歳月を経てようやく多くの人々が
お参りできるようになった仏舎利。
インドから贈られた仏舎利とその思いと共に、
原爆死没者追悼と世界恒久平和をお祈りいたします。
─店主─
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