原爆死没者名簿とは
昭和20年8月9日に長崎市に投下された原子爆弾により犠牲となられた方々のお名前を生きていた証として書き記し、永久の記録として後世に伝え、人類の恒久平和を祈念するため、長崎市が原爆死没者名簿を奉安しています。
原爆死没者名簿は、昭和43年から作成が始まり、当初は平和公園の平和祈念像前に設置された「原爆殉難者奉安所」に奉安されました。
平成9年8月からは、平和公園再整備事業により、奉安所は原爆落下中心地に移設され、マイクロフィルム化された原爆死没者名簿が納められています。
現在名簿の原本は、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の追悼空間の名簿棚に奉安されています。
新たに判明した方々の名簿への記入は、毎年8月9日の平和祈念式典の前に一括して行い、追加奉安されています。
昨年度(平成25年)で、奉安された名簿は164冊になります。
その中には広島で被爆し、長崎での奉安を希望された12人分が書かれた1冊と、身元が分からない死没者のため白紙のままで納められている1冊が含まれています。
長崎にお住まいの方は、毎年原爆の日を前に名簿の記入や風通しをおこなう模様をニュース等でご覧になられたことがあるのではないでしょうか。
当社が原爆死没者名簿を寄贈するにいたった経緯
長崎市へ原爆が投下された当時、現社長の父 茂は海軍飛行予科練習生でした。
茂は被爆直後の惨状を目にし、またこの被爆で旧制長崎中の多くの同級生を亡くしました。
その後、茂は長崎市が原爆死没者名簿を奉安するという話を聞き、自分にできる供養を行いたいという思いで名簿の寄贈を致しました。
以降数年おきに名簿が不足した都度、寄贈を続けてまいりました。
茂が死去した後も、故人の遺志を受け継ぎ、現社長が引き続き名簿寄贈を行っています。
名簿は特注品で、寺院の過去帳を製作している京都の職人さんにより、昔ながらの技法で製作されています。
紙は何百年も保つように「鳥の子」という上質の和紙を使用しており、縁には金箔を施しています。
今回(平成26年)の寄贈について
平成26年6月24日、原爆死没者名簿20冊を長崎市に寄贈致しました。
また、今回で寄贈した原爆死没者名簿は累計210冊になりました。
被爆継承と平和推進行政の伸展に大きく貢献したということで、長崎市の田上市長から感謝状をいただきました。
今 日本では、平和が当然のように感じられていますが、
それは一部の国の話であり 世界的に見れば
非常に危ういバランスの上に成り立っています。
長崎市では、世界最後の被爆都市として、
原爆の悲惨さを後世に伝え この平和が世界に広がり
永遠に続く事を祈念する為に
この原爆死没者名簿を奉安しています。
当社も、亡き先代の意思を受け継ぎ
この平和が永遠に続く事を願い
その活動の一助となれるようできるかぎり努力して参ります。
─店主─
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